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東京、愛してる

出演:西田尚美

文 :小林エリカ

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- 01

  • 雲の間を縫うようにして飛行機が成田エアポートに着陸した瞬間から、
    わたしの胸は期待で高まっていて、京成線に乗って上野駅に到着した時には
    もう緊張しすぎて息もできないくらいだった。
    わたしはパリのアパルトマンを出た時から少しも眠らなかったし、
    大きな目を見開いたまますっかり興奮しきっていた。
     あの時のわたしは、短く切った金髪をピンクに染めていて、
    顔はニキビだらけで、
    ヘッドフォンを首にぶら下げて、背負った巨大なバックパックの中には
    フランス語版の「スプートニクの恋人」を入れていて、お金なんて全然なかった。

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- 02

  • でも、ポケットの中には小さなメモ帳にきちんとした文字で
    書かれたあの子の電話番号だけはあったのだ。

    あの子は黒い髪に魅力的な黒い瞳をしていて、
    わたしがパリへ出てきてはじめて出会った日本の子だった。
    あの子はわたしがマンガを真似して描いた絵を褒めてくれた。
    あの子はいつもひとりだったから、わたしは、いつか東京へ行くのが夢なの、
    アニメや映画に出てくる東京の街が大好きだし、きっと東京ならわたしにも
    友だちがたくさんできそうな気がするの、と夢中で話して、
    わたしのアパルトマンでK-Martで買ったカップラーメンを一緒に食べた。
    もっともあの子もパリへはやって来たばかりだったし、
    マレの版画スタジオ以外はまだどこも知らなくて、
    フランス語も片言だったからどれほど通じていたかはわからないけれど。

    いつかきみが日本へ来たら東京の街を案内してあげる、
    それから本物、、のラーメンを一緒に食べよう。あの子は言った。

    わたしは、あの子と一緒に歩く東京の街を夢に見た。

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- 03

  • ネオンライトで輝きアニメソングが流れ
    メイドの格好をした女の子たちが踊る秋葉原、
    ロスト・イン・トランスレーションでスカーレット・ヨハンソンが佇む
    巨大なモニタがいくつも並ぶ渋谷のスクランブル交差点。

    ねえ、東京では犬の形をしたバスが走っているんでしょう?
     ねえ、東京では黒猫のマークをつけた人が宅急便を届けてくれるんでしょう?

    あの子は、あの子の通っていた美術学校は上野という場所にあって、
    そこには蓮の花が幾つも咲き白鳥のボートが浮かぶ大きな池があって、
    春には桜の花を見にサラリーマンや学生たちが大勢集まって
    真夜中まで明るくにぎやかで、立派な博物館や美術館がいくつもあって、
    そこにはモネの睡蓮の絵やルノワール、ゴーギャンの絵だってあるのだ、
    と話してくれた。

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- 04

  • わたしは、あの子と一緒に歩く東京の街を夢に見たのだ。

    けれど、ようやく遂にわたしが上野駅へ降り立った時、
    季節は冬だったし天気も曇りだったから、高架下は薄暗く、
    大きな池は見つかったけれどそこはがらんとしていて、桜の木は枝しかなくて、
    よりによって、博物館は月曜日で閉まっていたのだった。
     そして、結局のところあの子は待ち合わせの場所に現れなくて、
    わたしがあんなにも大切にしていた電話番号は
    どこへもつながらなかったのだった。

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- 05

  • わたしはこの言葉も通じない遠くの知らない街にひとりぼっちで、
    背中に背負った荷物は重いし、トイレには行きたくなるし、酷く惨めで、
    去年学校を落第したこととか、
    はじめて好きになった人と親友が寝ていたこととか、
    本当は絵なんて全然上手に描けないこととか、最悪な記憶は次々蘇り、
    公園で入ったトイレの鏡を見たら髪はボサボサだし最低で、
    なんだか涙が出てきたのだった。

    あれからわたしはどうしたのだっただろう。
     そう、わたしはひとりでラーメン店に入ってラーメンを食べたのだった。
    それがあの子の言った本物、、かどうかわたしにはわからなかったが、
    わたしはあの時、たとえどんなに自分が最低だろうとなんだろうと、
    ただそれとは無関係に、おいしいものはおいしくて、美しいものは美しくて、
    街は街である、ということに感謝した。

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- 06

  • わたしはそれから大きな池の灰色の水の中には金色の鯉が泳いでいるのを
    発見し、桜の木の下ではブルーシートとダンボールが組み合わされた
    小さな家の中には人が住んでいることを知り、
    博物館の近くではパンダの形のビスケットを買って、
    狭くて薄汚いけれど暖かくて財布を盗まれたりすることもない
    バックパッカー宿で眠ったのだった。

    ずっと後、わたしは、あの子が実のところ上野の学校へなど
    通ったことなど一度もないまま親の金で
    パリへ逃げ出していたのだということを知ったのだった。
    あの子はなぜわたしにそんな嘘をついたのだろうと思うのと同時に、
    けれどわたしは、あの子ではなく東京の街に恋をしていたのかもしれない、
    と恥じ入った。

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- 07

  • 今、わたしの髪はもうピンク色でもなく、
    荷物はスーツケースに収められていて、
    顔にはニキビのかわりに皺ができつつあるけれど、
    ポケットの中にはメモ帳があって、
    けれどそこにはもうあの子の電話番号はないけれど、
    わたしはふたたび東京の街へ向かっている。

    雲の間を縫うようにして飛行機が成田エアポートに着陸する。
    すると同時に、やっぱりわたしの胸は高鳴るのだった。
     今度こそ、この東京の街で、本物、、のあの子に出会えるんじゃないかと。

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- 08

- Movie

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- 09

西田尚美(にしだ・なおみ)
1970年生まれ。女優。2017年公開映画に『ひるなかの流星』『追憶』『こどもつかい』 。根本宗子演出『新世界ロマンスオーケストラ』が4/30より東京グローブ座にて。
https://www.sekaroma.com/
小林エリカ(こばやし・えりか)
1978年生まれ。作家・マンガ家。小説『マダム・キュリーと朝食を』が芥川龍之介賞・三島由紀夫賞候補となる。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフとした『親愛なるキティーたちへ』、作品集『忘れられないの』、『光の子ども1,2』など多数。
http://erikakobayashi.com/
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