環境や立場が変わっても、自分の中に普遍的に持ち続けている気持ちがある。
自分に素直に、まわりと自然に向き合う彼らの“心地よい暮らし”を送るために、大切にしていることとは ―

― 東京から宮崎に移り住んで、プロデュースされている「青島ビーチパーク」も順調そうですが、そもそも何故宮崎だったのでしょうか。

3年前に移住を決めたときは、実はまだ何も決まっていなかったんです。宮崎の青島以外に福岡の糸島も候補に入っていて、会社勤めを辞めてから、奥さんと二人で下見のための旅をしました。住む場所の条件は、南西の暖かい所で海があり、サーフィンができること、そのくらいで。僕は山口県下関生まれの名古屋育ち、神戸の大学から東京での就職と、幾つかの地域で過ごしてきてはいたので、移り住むのは大丈夫だと思っていました。でも奥さんは東京生まれの東京育ち。それなりの決心ではありましたね。縁もゆかりもない土地に住む決意をしたのは、東京と少し距離をおきたいと感じたからでしょうか。

(Photo by 隈元公之)

― そこでちょうど、青島のビーチエリアを活性化させる仕事の相談があったということ?

実はもともと、宮崎でオーベルジュのようなことをやろうとしていたんです。そういう情報を知った友人を経由して、青島を活性化させようとした宮崎市役所からの相談を受けました。復活を願う声が多くあったそうです。30年以上、海の家がなかった青島ビーチの何をどうしたら魅力的に、そして人が集まる海水浴場として復活するのか・・・初年度はとても大変でしたね。正直、行政の方との仕事は言葉も違うので、イメージがなかなか伝わらなくて。それでも、ビーチは想像の中よりもどんどん賑やかになってきて、皆さんと共に良いかたちで進んでこれた2年間でした。今年は3年目、4月24日にいよいよオープンし、10月末までの半年間という、延長開催となりました。
(青島ビーチパーク>http://www.aoshimabeachpark.com/

― 宮崎での活動は他にどんなものがあるのですか?

青島や市街の北の方にある一ツ葉ビーチというところの活性化プロジェクトの中で、ある施設をリノベーションし、新しいコミュニティーの場を造りたいという依頼を受けました。現在、統括プロデューサーとしてプロジェクトを遂行しているところです。今夏にはリニューアルオープンを予定しています。先日は、偶然にもこのプロジェクトメンバーが別々でL.A.入りすることが分かり、皆で予定を何とか併せ、現地視察や打合せまでしてきました。とても収穫の多い、男たちのカリフォルニアトリップとなりましたね 笑。
そして日本に眠る魅力を国内外に発信していくプレミアムな野外レストラン「DINING OUT with LEXUS」の10回目の開催(5月27日、28日に予定)が宮崎いうことで、この主催社であるワンストーリーとオフィシャルサポーターである宮崎市役所との間で、コーディネートをしています。実は、この主催社は古巣博報堂のグループ会社で、代表が先輩ということもあり、宮崎開催に向けての活動から、宮崎市役所の担当の方と一緒に動いていました。最近では、こういったもの以外にも東京のブランドさんの仕事を宮崎で行うことも増え、やり甲斐を感じますね。
(DINING OUT>http://www.onestory-media.jp/

― すっかり、宮原さんご自身が宮崎のPRパーソンになりましたね。

もしかしたら、外様の人間だからこそ、地方の魅力が見えやすいのかもしれません。しかも宮崎には温厚な人が多いので、僕みたいな人間もスッと溶け込むことができました。行政の仕事からスタートできたことはとても贅沢なことで、そうでなければここまでスムーズにいかなかったでしょうし、またここまで反響も出なかったかもしれません。

― 離れてみて今、宮原さんの目に東京はどう移っているのでしょうか。

とにかくすごさを改めて感じますね。スピード感もありますし、国籍や業種など、本当に様々な人種がいて、その影響力の高さは圧倒的。グローバルという言葉がよく使われますが、東京ほどグローバルな所はないと思います。もうすっかり宮崎タイムが染み付いている自分なので、余計に感じるようになりました。

― 宮崎タイムの過ごし方は?

子供と一緒にいる時間を大切にできていますね。海はもちろん、川や公園などで遊んだり。自宅から海まで車で5分、空港までも車で5分、街までは車で30分。一番遠いのが街です 笑。2歳7ヶ月の娘もバシバシ海に入ります。料理はそんなにする方ではないけど、奥さんが出張でいない時でも、4日くらいは娘と二人で過ごせますよ。実は宮崎に移り住んでから2年間は、もちろんビーチパークの件も含めて働いてきましたが、ゆったりした時間も大切にしてきました。この2年は、好きな時間に波乗りし、家族と過ごしてきた。海の近くに住む豊かさを伝えるために、自分自身がそれを体現してきたと言うのかな。ただ逆に、とても良いバランスの中で暮らし過ぎてしまって、めらめらと仕事熱があがってきたところです 笑。今は現地で自分の住んでいる宮崎の良さをもっと引き出し、外に発信していければと思っています。例えば、カリフォルニアやゴールドコーストなんかに匹敵するくらいのビーチタウン、つまり日常の中で海と良い付き合いができる場所として、まだ道半ばですが、広めていければ嬉しいですね。

(Photo by 隈元公之)

― しばらくは宮崎の生活が続くんですね。

今の僕は、両足を宮崎に突っ込んでいる状態で、今後そのウエイトは変わっていくにしろ、このまま宮崎に住んでいきたいと思っています。それくらい食、人、時間の流れやサーフ環境が良いんです。実は奥さんが4月から生活拠点を東京に移すことにしました。正に夫婦で二拠点生活、特に僕は今後行ったり来たりが増えることになります。これは妻の雑誌編集、書籍執筆やウエディングプロデュースという仕事内容を考え、二人で話し合って決めました。もちろん妻や娘と離れて過ごすのはめちゃくちゃ淋しいですけどね。今後は娘の成長環境を第一に、その時その時のベストを一緒に考えながら暮らしていければ良いと思っています。そういう意味では、近いうちに片足を海外で、なんてこともあるのかなぁと思っています。

(Photo by 隈元公之)

― サーフィンのある生活をはじめてどのくらいですか?

もう20年くらいかな。サーフィンをしている2時間の中で、波に乗れるのはほんの数分。だからその分、快感はすごいですよね。水が自分にリズムを与えてくれる気がしているんです。だから仕事のアイディアなんかもシャワーかトイレで浮かぶことが多いです。水がポジティブな部分を与えてくれるみたい。サーフィンをしていないと身体が欲していることがあります。そろそろつかろうか、ってシグナルを送ってくれる。日常に海が溶け込んでいるんです。そうやって流れに身を任せながら生きていけるのは、とても幸せなことですよね。宮崎がそうさせてくれた気がします。

周りの人をどんどん巻き込みながら、そのコミュニケーションの通訳者として中心に立ち、宮崎をオシャレなビーチタウンへと導きはじめた。奥さまが編集長、また宮原さんが発行人を務めるライフスタイルマガジン「CANVAS」の、最新号テーマは“Life is a Journey”―人生はいつだって、旅の途中。正にどんな時も変化を楽しめる宮原家のテーマだ。宮崎に腰を据えた44歳の旅人の歩みは、まだ始まったばかりのようだ。彼の生き方は、間違いなく私たちに多くのヒントと、自信を与えてくれることだろう。

宮原 秀雄

(株)キャンバス代表取締役
コミュニケーションデザイナー・コミュニティープロデューサー・ブランドディレクター・プロジェクトマネージャー。
山口県下関市生まれ、愛知県育ち。1997年関西学院大学経済学部卒業後、(株)博報堂入社。2014年3月末に退職するまで17年間、アカウントプロデュース職として、大中小様々なクライアントの広告・事業展開を手がける。
その後独立起業し、雑誌「CANVAS」を発行。各種ブランドやクリエイティブのディレクション、新しいコミュニティーのプロデュースなどに携わる。2015年1月に東京を離れ、家族で宮崎へ移住。現在は宮崎のプロモーションに関わる各種プロジェクトも遂行中。

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